« 久しぶりの練習@梅澤 | トップページ | 簡潔に@和久田 »

2019年12月14日 (土)

武蔵野線は有能!@宮城

こんにちは。B2の宮城です。

最近は生活リズムがかなり崩れていてやること成すことがかなり適当になってきている気がします。適応していかなくてはなりません。自分には適応能力がない、もしくは適応に大きなエネルギーを使いすぎているように感じます。まずは現状を認めて、何事も効率(論理)、メンタル維持ですね。

 

今日のメニューは、

・急坂60*3

・緩坂100*2

でした。そのあとに短ミーティングも。

最近は短長じみた練習が続いていたので、久しぶりに短い距離で一気に出力を出すことに専念できました。僕個人としては坂がかなり苦手で、30mで感覚が掴めなくなって一気に置いて行かれます。(よく考えたら平地でもそうかもしれない。)足が浮くというか、地面の高さの変化に翻弄される感じ。まあ今日の天野さん相手に限っては最初から歯が立っていませんでしたが。深町からは乗り込みが足りていないのではないかと言われました。夏合宿でも近藤や尾川さんにも言われていたことでしたね。最近為末のブログでも、まずは乗り込めるようになることが第一前提と書かれているのを見かけました。この冬で重点的に取り組んでいくべき話題と感じます。短ミーティングはまあいいモチベ向上の機会ですね。みんなしっかり考えていました。自分は考えられていたでしょうか。 

 

この11.12月中、色々な分野で精力的に活動しているいわゆる「大人」(何をもって大人とするかはいまだにわかりません)たちに接する機会がありました。具体的には思い出しきれませんが、彼らの言葉は個性的であり、説得力、重みがありました。自分にはないような。その中で自分に足りないものは何かを考えました。発想でしょうか。習慣でしょうか。それともメンタルでしょうか。経験でしょうか。

癖(習慣)というのは、ある面で自分を安定に保ち心に安心感を与えるために働いている(私たちが頼っている)と言えます。塾講師をやっているとひしひしと感じます。やけに授業中になると出てくる口癖が多い。自分の場合は「一応」、「とりあえず」、「いや~」など。自信がないですね。断定表現がほとんど使えない。準備不足も大いにあると思います。

もう一度物事のどこに焦点を当てるべきなのか、それは論理的に前提知識と相違ないかをきちんと考えていかないとそんな「大人」にはなれない気がします。考えることを放棄してしまった(自分のような)人はいつか自分にとって最終的にプラスになる方法を考える意識をつけていかなければならないですね。人間は考える葦だ、ってなんか習ったような気がします。

今日の短ミーティングで意識することと感覚が変わることを差別化して考えないといつまでたっても変わらない気がする、といった偉そうなことを抜かしましたが、意識の先にあるアウトプットは分野でそれぞれ違えど、意識を指針にした上でそのあとの表出を見積もるという根本はいつでも一緒じゃないといけないですね。

中央線と京葉線を繋いでいけば早いルートを、ずっと座れるからって武蔵野線で長たらしく回ったような超遠回し、自分にダメージの無いような言い面ですが、要は認めることと考えることをやめてはいけないということなんですね。

ちなみに実際に西国分寺から南船橋までのルートを二通りで調べてみたところ、乗り合わせによってはなんと武蔵野線で一本でいったほうが早いこともあるようです。距離では武蔵野線のほうが圧倒的に長いですが、東京駅の地獄の乗り換えも功を奏しているのではないでしょうか。何が正解かなんて指標は意外に目に見えませんね。どの道が本当に近道なんでしょうか。

 

次は何となくあおいで。

« 久しぶりの練習@梅澤 | トップページ | 簡潔に@和久田 »

練習日誌」カテゴリの記事

無料ブログはココログ